生産性を上げて5時に帰る。

民間→小学校教員 毎日5時に職員室をさる。その実現のための『生産性の高い教師の働き方』を中心に呟きます。最小の労力で最大の成果を生み出す。目指すは ビジネスと教育の融合。

#75 シュドゥント仕事してませんか?

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仕事の4階層

仕事には以下の4階層があると考えます。

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マスト仕事=しなければならない仕事

やることがマストとされている仕事です。

子どもを大きく成長させるマスト仕事もあれば、マストなのに全く成長につながらないネジレ仕事もあるので、エネルギーの配分を心がける必要があります。

 

ベター仕事=絶対ではないがやったほうが良い仕事

学校現場に無限に存在するのがこの階層の仕事です。

教育の生産性が高い仕事を選択・集中して時間を投下すべき階層であるといえます。

全部やろうはバカやろうですね。

 

ノーニード仕事=やる必要のない仕事

いわゆる、自己満足仕事です。子どもの成長には全く繋がらないのに、時間をかけて質を上げようと頑張ってしまうシーンは、実はたくさんあります。でも、残念ながら学校現場には潤沢な時間という資源は存在していません。

 

シュドゥント仕事=すべきでない仕事

えっ!?すべきでない仕事!?

 

そう、今日、フォーカスするのは、このシュドゥント仕事です。

 

 

シュドゥント仕事の存在への気づき

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これを考えるきっかけとなったのは、運動会の応援指導です。

運動会シーズン、多くの学校で朝学習等の時間で、高学年の応援団の児童がクラスへ来て応援の仕方を教えるという活動がされているのではないでしょうか。

別に、ブログ読者の先生の学校にその文化が存在していなくても、本質はお伝えできるのでご安心ください。

 

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応援1日目

朝の始業のチャイムと同時に、応援団の子がクラスに入って来ます。

一通りの自己紹介を終えた後、少し緊張した面持ちで、応援歌やコールを教え始めます。

しかし、クラスの子(僕の勤務校は単学級なので、クラスが分割されて、5年生と2年生の児童が半々いる状態)は全然声が出ない。

 

少し前の自分なら焦って、クラスにいる子たちに

「もっと声出さなアカンやん!」

ってな注意をしていたと思います。

でも、ここは一言も発さず。我慢。そして黙々と丸付けをする。

そして10分が経ち、声はあまり出ないまま終了。

応援団の子は、「明日はもっと声を出せるようにがんばってください」と、ちょっとしょげた感じでまとめてくれました。

 

応援練習2日目

少し声が大きくなる

 

応援練習3日目

さらに声が大きくなる

 

そして・・・

応援練習最終日

最終的に、クラスの子たちは大きな声が出るようになりました。

 

そして応援団の子はこう言いました。

「とても大きな声が出るようになったと思います!この調子で本番もがんばりましょう!」

 

ここで初めて僕は口を開きました。

 

「みんな聞いてください。

先生はこの練習期間中、一言もしゃべりませんでした。

それは応援団のメンバーを信頼していたからです。

そして、みんななら絶対にできるようになると信じていたからです。

応援団のみんなの頑張りは本当に素晴らしかったです。

先生の力を借りずに、自分たちで責任を持って仕事をやり遂げる、これが高学年の姿です。応援団のみんな、ありがとう」

(あやふやですが、多分こんな感じ)

 

常態化する手段の目的化

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応援練習の目的とは何でしょうか。

 

大きな声が出るようになること?

 

実はそれは表面的な目的であり、本質的には手段だと考えます。

 

本質的な目的は子ども達の本質的な成長。

そう考えると、応援団の子ども達を中心として自律的に機能する能力を身につけることが真の目的にあるのではないでしょうか。

 

例えば、担任が応援団の子どもたちの存在をすっとばして、クラスにいる子どもたちを叱り倒して100の大きな声が出るようになったとします。

 

一見すると、大きな声が出ているので目的を達成しているように見えますが、これは失敗です。

いや、何なら「さすが◯◯先生ですね」ともなり得る案件です。

 

逆に、担任はほとんど介入せず、子どもたちだけで自律的に運営された応援練習を重ねた結果、80の声が出るようになれば、それは成功です。

 

この場合、前者の担任がやった『指導』は、完全なるシュドュント仕事であったと言えます。

 

気持ちは分かります。

「もし、自分のクラスの声が全然出ていなかったらどうしよう?」

という焦り、体裁、責任感。

でも、それは誰のための指導なのか?

 

自分を守るための指導にすり替わっていないでしょうか?

 

みんなの声が出ているという体裁を整えるために、子ども達の成長を置き去りにしていないでしょうか?

 

自分の頭越しに指導された応援団の気持ちはどうでしょう。

暗に「君には出来ない」というメッセージを投げかけることになっていないでしょうか?

 

企業の例

教育のシステムにおいては、生産性を高めることがマストな企業の方が優れていると感じます。

例えば、くら寿司

以下のような階層が存在し、指導は自分の1つ下の階層にしかしてはいけないということがマニュアルに明記されています。

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それぞれの階層のリーダーの指導力や責任感を高めるには、信じて任せることが大切なのです。

もし、自分の頭越しに自分が指導すべき従業員への指導がされると、一種の無力感に苛まれます。

「自分は必要ないのでは…」

これで力がつくはずがありません。

 

ファッション指導=シュドュント仕事

今回の応援団指導は、あくまでも一例です。

こういったファッション指導は学校にたくさん存在しており、それはシュドュント仕事なのだと考えます。

 

やればやるだけ本質的なマイナスを招くという、厄介な仕事と言えます。

 

本当はティール組織に絡めた話をしたかったのですが、長くなったので今回はこの辺りで。

 

次回は衝動型レッド教師をテーマに、問題を掘り下げていきます。

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