生産性を上げて5時に帰る。

民間→小学校教員 毎日5時に職員室をさる。その実現のための『生産性の高い教師の働き方』を中心に呟きます。最小の労力で最大の成果を生み出す。目指すは ビジネスと教育の融合。

#73 30年後の未来から今を見る

 

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から衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして 

                                万葉集より

 

歴史の教科書で取り上げられるこの有名な歌は、防人歌と呼ばれ、当時の人々の苦しい暮らしを表したものです。

 

奈良時代の人々のくらしはとても苦しいもので、租庸調といった現物での納税に加え、防人として北九州の警護という労働を課されていました。

 

母親もいないのに、子ども達を置いて九州へ向かわなければならなかった父親の悲痛な叫びが、この歌には込められています。

 

ツイッターを見ると、同じように多くの悲痛な叫びが聞こえてきます。

もしかしたら、未来において、これらのツイートは奈良時代の防人歌のように、今の教師の暮らしを伝えるものになるのではないでしょうか。

 

30年後、今の日本の教育の状況を振り返ったとき、どのように語られるのか。

 

これはあくまでも僕の予想ですが、価値ある事も価値なきことも、教師は全部やることを美徳とし、無償で死ぬほど残業していた悲惨な時代だったと語られるのではないでしょうか。

 

現在の給特法で規定された教職調整額4%の根拠は、昭和41年における教員の平均残業時間である8時間から割り出されたものです。

そこから教員の仕事は肥大化に肥大化を続け、現在では過労死ラインを超えて働くことも当たり前となってしまいました。

 

しかし、歴史を見ると、大きくクローズアップされた問題は、完全に解決されるとまではいかなくとも、改善されていくことがほとんです。公害問題然り、人権問題然り、国際問題然り。

そう考えると、今後教員の働き方問題は、大局的には改善へと向かうはずです。

また、AI等のテクノロジーの進化や、学校組織の改変といったイノベーションが、それを後押しする可能性もあるでしょう。

こうして、未来の教員の勤務時間は適正化されていくと思っています。

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そうなれば、教育界にとって、とてもハッピーな事です。

しかし、一個人としての僕たち教員は、今が全てなのです。

 

後で、「大変な時代に教師やってたんだね」と哀れみの目で見られても、今を生きる僕たちにとって、それは1mmの価値もないのです。

 

そんな苦難の時代を従順に生きるのか、それとも必死で抵抗して生きるのか。

 

どちらを選ぶも自由ですが、僕は後者を選択し、こんな記事を書いたりしているという訳なのです。

 

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僕には現在、1歳と5歳の2人の娘がいます。30年後に、もし今の時代にタイムスリップして、子どもたちの1日過ごす権利が売り出されたら、一体いくら出すのだろうと、ふと考えました。

 

おそらく30年後でも、タイムマシンは発明されていないでしょうし、1億円出してもそれは叶わないはずです。

VR技術等の発展により、擬似的にそういった体験はできそうな気はしますが。

 

我が子が、だっこをせがんだりするような本当の意味での子どもでいる時期は、ほんの一瞬です。

おそらく、10年くらいでしょう。

小学校高学年にもなれば、家族よりも友達のコミュニティを大切にするようになるのですから。

 

こうして未来に立って今を見た時、今という時間の価値は圧倒的に貴重なものになるのです。

でも、そういった貴重な今が、連続的に、そして無意識的におとずれる日常生活を生きていると、その価値に気づくことは、想像以上に難しくなります。

 

成果を生まない価値なき仕事に、その貴重な時間が侵食されることに、僕は怒りを感じます。

 

だからこそ、選ぶことを選び、教師として受け持つクラスの子どもと、親として受け持つ我が子の成長を最大化できるよう、時間というリソースを最適配分することを心がけています。

 

「学校の先生の子は荒れやすい」ということを、耳にすることがあります。

悲しいことですが、これは今日の教員の労働環境を鑑みると、必然性があると言わざるを得ません。

 

これは、選ぶことを選ばず、全部やろうとして失敗してしまった悲しい結末だと感じます。

 

トヨタの格言に、「人を責めずに仕組みを責めろ」というものがあります。

荒れてしまった子どもの親を責めるのではなく、その仕組みを変えていくことが大切だと思います。

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仕組みを変えていきましょう。

教員の労働環境を良くしようと、国に対してアクションを起こしている内田先生や妹尾先生のような方がいます。また、斎藤ひでみさん達のように、現場の一教師として改善を訴えている方もいます。

 

そして、僕たちフツーの教師ができることは、現場で訴え、現場で改善へのアクションを取り続けることです。

ツイッターで議論されることと、現場とのギャップに辟易とするといった声をよく聞きます。

しかし、そこで愚痴っていても、一つも前には進みません。

ツイッターだけの絵空事とせず、自分ごととして自分の現場でタブーを恐れずに発信して初めて、意味を持つのではないでしょうか。

 

タブーを叩き割りましょう。

 

ここで流れるわずかな血を恐れ、一生取り戻すことのできない貴重な今という時間を喪失することはもったいない。

僕はそう感じます。